推しの変わってる特徴の話。
最近、推しを追いかけてるうちに段々とストレートプレイの見方というか楽しみ方がわかってきたところで
火曜に放送してたドラマ『カルテット』第1話を観たんですがすごく舞台っぽいというか良質なストプレ会話劇!って感じで面白かったです。
今のところ登場人物がヤバイ人しかいなくて楽しい。コーン茶のシーンとかすごく舞台っぽい!
本当に推しには色んなことを教わっています。人生を楽しくしてくれる。
話は変わって
推しの先週末の観劇記録ブログが面白かったです。
エリザベートとキャバレーは章平と観に行ったのですが、章平からの一言…「エリザベートの世界観に惹かれた小学五年生、キャバレーを中学生で観てるお前はやっぱり変わってるな。」でした。
今となっては我ながら変わってる少年時代だと思います。(笑)
確かに「この舞台10年前に観た」がこんなしょっちゅう出てくる24歳はなかなか居ないでしょうね!
エリザベート、こち亀、グランドホテル、キャバレー…うーん眩暈がしてくる。
ただ章平さんはあれだけずっと一緒にいて「やっぱり変わってるな」も今更な気がしますけど…(笑)
本当に推しは個性的というか、いい意味でヤバイ、普通じゃない人でそこがすごく魅力だと思います。
”味方良介”そのものが個性的で魅力的すぎることが彼の役者としての長所であり短所でもあるのかもしれない…と勝手に思っています。
演じる時も、本人の性質が特殊なのでそれを生かす形の役作りが一番面白いし魅力的になるタイプじゃないかと。(個人の感想です)
私が思う味方良介の代表的な性質(特徴)は…
滲み溢れ出る壮大な愛
常に愛に溢れています。優しいというか、愛です。世界への愛。
愛のスケールが大きすぎて常人にはよくわからないことがあります。
Sparkle vol.24のインタビューでは中学時代どんなタイプの子だったかを聞かれて
僕、グループとか派閥ができるのはわかるけど、そこには属さないタイプだったんだよね。
同じ人間なんだし、誰とでも遊びたいと思っていたから。
「同じ人間なんだし」…!学校内のスクールカースト的な話なのに単位が人類です。
もう視点の規模が大きすぎて何者かわかりません。
いやある意味中学生らしいのか?(でも多分このスケール感は今も変わってない)
表面的な常識と名状しがたい盛大なズレ
一見するととても常識的な人間に見えることがあります。
なんせとにかく愛がすごいのと、大変に育ちが良い(愛されて育っている)こと、そして地頭が良いので、かなり常識的に振る舞うことができます。
ただ、時々何かが恐ろしくズレています。
突然まだ善悪の判断がつかない幼い子供みたいに無邪気で残酷なイタズラをやってしまったりするのです。
その振れ幅はあまりにもリアルなピーター・パンで、彼のそういった事象に出くわすととてもゾクゾクします。
そこまで行かなくてもよく観察しているとなんとも言い表しにくい「ズレ」を感じることがあっていつも興味深いです。
このように壮大な愛となんとも言えないズレ感が、推しにとってかなり大きな特徴ではないかと思います。
2013年のグレイスフルプロデュース『亜雌異人愚なグレイス』は、予定されていた公演「マグダラなマリア」が直前に公演中止となり演目が変更され、急遽、津田健次郎さんが書き下ろした脚本で上演されました。
急遽書かれた脚本のためか、推しの演じた「マルコ」は本人に当て書きで書かれた部分が多かったようで、まだ演技経験が浅かった推しは逆にそれで苦労したことを語っていました。
マルコは不思議な空気を持った青年で、突然ハイテンションで入ってくるかと思えば、いつも空を眺めていたり、会話中の2人の間に大きな荷物を抱えて割り込んできた上で「ああ、ごめん、邪魔だった?」と悪気なく聞いてくるような役です。
自称・天才手品師ですが手品はほとんど失敗ばかりしていて、しかも全く悪びれたり恥じたりしません。
そして物語の最後に、本当は「劇場の天井画に描かれた天使」であったことが明かされ、空へと帰っていくのでした。
…そう、どうも彼に当て書きをすると浮世離れした天使になってしまうくらいには変わった人物らしいということです。
無邪気で、人間への愛に溢れていて、でも何かズレている。
いま思い出しても「マルコ」という役は、彼の特徴をとても生かした役だったと思います。
「変わってる」ということは諸刃の剣ではありますが、上手く使えば大きな武器であることに間違いはないと思います。
これからも彼の武器が上手く生かされることを願います。
そして、まだ知らない特徴や魅力も発見していきたいです。
本当に観察してて飽きないな〜!