推しが可愛い日常

推し(味方良介さん)が可愛い話をします

舞台『After Life』観劇の感想と考察(オバフェミ・テイラー中心)

舞台『After Life』大阪公演(森ノ宮ピロティーホール)観てきました!

afterlife2023.com

当ブログとしてはいつものように推し(味方良介さん)中心の感想と考察になりますが、それでもOKな方はお読みください〜(当たり前ですが、ネタバレです)

 

全体の感想

まず全体の感想としては、わーい群像劇!わたし群像劇だいすき!たーのしー!になっちゃうんですが…

いやー私、味方さんが以前に出演したミュージカル「グランドホテル」以来、群像劇が大好きでして。

いろんな人の人生の話が同時進行していくので、いっぱい脳が使えて楽しいんですよね。

特に好みの部分はしっかり深掘りして、そうでもない部分は脳を若干流す感じになるんですが、流してるうちに突然新たな発見があったりすることもありますし。

いい意味でごちゃごちゃした状態のものが好きなのかもしれないです。私は。

とにかく色々考察したり妄想したり、たくさんあるわからない部分を楽しみつつ脳を使いながら観れるのが楽しい作品でした!

あと音楽も素敵だったな〜生演奏がある舞台っていいですよね…!

 

以下、だいぶ妄想寄りなものも含んだオバフェミ・テイラーについての考察・感想です〜

オバフェミ・テイラーについて

味方さん演じるオバフェミ・テイラー(Obafemi Taylor)は14歳から何らかの病気で、おそらくその病気が原因となり20歳ごろに死んだ人物。

生年月日は2000年4月21日。番号は748番。

「Obafemi」はナイジェリアのヨルバ人にいる名前で、「Oba」は王や支配者、「Obafemi」で「王は私を愛している」といった意味になるらしい。*1

「Taylor」はイギリスやアメリカに多い苗字。おそらくオバフェミはナイジェリア系イギリス人ではないかと思われる。

1番との最初の面談

担当ガイドになった1番との最初の面談で、1番から「天国や地獄の話をしてるの?その…概念とか」と言われたオバフェミは「概念」の単語に怒りを見せる。

後述するが、オバフェミとその母親は熱心なキリスト教である。

キリスト教の熱心な信者たちにとって「天国や地獄」は「概念」ではなく「事実」だ。

そのため「概念」と言われたことに怒り、キリスト教的な世界観を否定する存在であるこのセンターについて「すべては出鱈目」と言い捨てて部屋を去っていく。

モルティザーズチョコ

おそらく2回目の面談で、オバフェミは「モルティザーズチョコを口で完璧にキャッチできたときのことでいいか」と言った(ガイドたちのミーティング中、1番の発言より)。

モルティザーズチョコとは、1937年から販売されているイギリス生まれのチョコレート菓子だそうで、中がサクサクしたチョコボールみたいなお菓子らしい。

この思い出は、後にある「人々の思い出が同時に繰り返されるシーン」でオバフェミ本人により再現されていて、(おそらくキャッチが成功した後に)「ハッ!だって俺だぜ!?」とのセリフがある。

これはつまり、病気になる前のオバフェミにとってモルティザーズチョコを口で完璧にキャッチすることは「自分なら当然できる」ことだったのだろう。

そんな「当然できる」はずのことも、きっと病気になってからはできなくなってしまった。

彼にとって「モルティザーズチョコ」は「病気になったことで失ってしまったこと」の象徴なのではないかと思う。

夢の話

モルティザーズチョコの思い出の次に、オバフェミは「夢の話でもいいか」と尋ね、その夢の内容を話す。

色とりどりのビーチで大男に追いかけられ、現実ではあり得ない速度で走って逃げる。

追いつかれそうになったところで、彼の体はどこまでも高く宙に浮き、大男はひっくり返って地面に埋まってしまい、難を逃れる。

その夢についてどこが大事なのか聞かれ、オバフェミは「大事じゃない」「1000人に聞いたら1000人がそう言うだろう」と答える。

この夢はおそらく病気になってから見た夢で、大男は病魔を象徴しているであろうことは想像がつく。

病魔から夢の中で一時、逃れることができた安堵感。

しかしあくまでそれは夢であり、夢から覚めてしまえば「病気の自分」であることは変わらない。

ある意味で「幸せな時間」でありながら「大事な思い出ではない」儚く苦しい夢だったのではないか。

母親の祈り

「人々の思い出が同時に繰り返されるシーン」で、中心にクローズアップされ、頭を抱えるオバフェミの後ろには「ベッドの傍で十字を切り祈る女性」の映像が映る。

説明はないが、おそらくこの女性は母親ではないかと思う。

熱心なキリスト教徒の母親に連れられて教会へ通う少年だったオバフェミ。(父親の話は全く出てこない)

信仰に篤い女性の子供が、死に至るような重い病気にかかったとき…

もしかすると教会内で「病気になってしまったかわいそうな子のための募金」が呼びかけられたのではないか。

もし、オバフェミの病気の治療費が同じ教会に通っていた信者たちの募金で賄われていたとしたら?

そう考えると、彼にとってキリスト教「自分の信仰」「母親の信仰」というだけでなく、「自分の命を約6年間繋いでくれた人たちの信仰」であり、さらに否定が難しいものになるのではないか。

シャロンの話

オバフェミは1番を相手に、同じ教会へ通っていた「シャロン」と呼ばれる女性の話をする。

シャロン」はいつも歌(讃美歌)を歌わず、酒臭い女性だった。

そしてオバフェミの母親は「彼女(シャロン)のために祈ってあげなさい」「みんなのために祈ってあげなさい」と言う。

幼いオバフェミはこの「いつも酒臭いシャロン」に対し、憐れみと同時にどこか見下すような気持ちがあったのではないか。

そして、オバフェミが病に倒れた後、母親、そしてきっと同じ教会に通っていた人々は「オバフェミのために祈る」ようになる。

「かわいそうな人のために祈る」ことの対象になってしまった、というのが、14歳の彼のプライドを大きく傷つけたことは想像できる。

 

また、1番は「酒臭い」という言葉に反応し、怯えたような姿を見せる。

「人々の思い出が同時に繰り返されるシーン」において、1番は「料理、洗濯などの家事をする合間に、飲み物を煽る」ような動きを繰り返している。

もしかすると、1番はアルコール依存症を患っていたのではないか。

アルコール依存症は精神の問題から始まり、いずれ身体を蝕んでいく。

オバフェミは何らかの身体の病だったと思われるが、身体の病による苦痛もいずれ精神を蝕む。

5番との面談

1番から頼まれ、この職場のボスである5番はオバフェミと面談をする。

この面談シーンは舞台『熱海殺人事件』(つかこうへい作)の木村伝兵衛部長刑事と犯人・大山金太郎*2のやりとりに構造がよく似ている。

「熱海」において刑事は無茶苦茶なことばかり言っているようで、その会話の中に犯人の怒りや悲しみを刺激するような言葉を散りばめ、犯人の大きな感情を引き出すことで真実に近づいていく。

5番もまた、「外科医」「裁き(=キリスト教における「最後の審判」)」といったオバフェミの感情を揺り動かす単語を織り交ぜて話すことで「真実」を見出そうとする。

長年「熱海殺人事件」で主演の木村伝兵衛刑事を演じていた*3味方良介はこの場面で犯人側の役割を演じているが、さすがに「追い詰められる側がどう演じれば追い詰める側にとって演じやすいか」といったところを掴んでいるように見えた。

5番を演じる相島一之氏とがっちり噛み合った芝居は見ていて大変気持ちよく、このシーンは毎回夢中になった。

 

自分、母親、そして同じ教会に通う仲間たちが信仰する宗教の教えを否定する存在である「センター」。

たったひとつの思い出を選ぶことで「自分で自分を裁き」「自分の人生、悲しみを受け入れる」ことの重さ。

それらを「許せない」と怒りを爆発させたあと、オバフェミは震える両手を組み祈ろうとした。

その瞬間、5番はオバフェミの背中にモルティザーズチョコを投げつける。

前述したように、「病気になったことで失ってしまったこと」の象徴であるモルティザーズチョコは、いま彼の手の中にある。

投げつけられたあのチョコは、死によって重い病の苦しみから解放され、身体の自由を手に入れたことを彼に思い出させるためのものだったのではないか。

 

そしてこの5番とオバフェミの面談は、採用面接に近いものでもあったのではないかと思う。

最初はふざけた態度で人を小馬鹿にしている様子だったオバフェミだが、最終的には5番の話を真剣にきちんと聞いて、受けとることができていた。(だからこそ怒りを爆発させ、そのあとは子供のように幼い表情で震えながら祈ろうとした)

この「きちんと話を聞いて、受けとる」というのは「ガイド」にとって一番必要な能力なのではないか。

その能力を持っていることを確認できたから、5番はオバフェミに「思い出を選ばなかった時どうなるか」を伝え、モルティザーズチョコという合格通知を投げつけたのだと思った。

「最後のチャンス」「何もすることがない日」

金曜日の夜、1番はオバフェミに「(思い出を選ぶ)最後のチャンス」を告げにくる。

ここまでに1番は何度も繰り返し「あなたを助けたい」と言うが、オバフェミは常にそれを拒否する。

そもそもオバフェミはおそらく生前から「かわいそうな、助けるべき人」として扱われ続けていることにうんざりしているのだ。

オバフェミがいつもふざけたような態度をとるのも、暗い顔をしていたらますます「かわいそうな人」として扱われることになるので、ふざけることで「助けてやろう」と思わせないようにするためでもあったのだと思う。

(ただ「いつ死ぬかわからない」状態が長く続いていただろうから、自分の暗い顔を周囲に残したくないという気持ちから習慣化した面もありそう)

 

劇中、オバフェミが生前に病気であったことを告白するのは終盤のこの場面である。

1度目の観劇ではここまでオバフェミの振る舞いや態度の理由がわからないようになっていて、2度目には最初から理由をわかった状態で観ることができるという仕組みだ。

つまり、この舞台は複数回観劇した人ほどオバフェミのことを好きになるような作品になっている。

 

1番はガイドという仕事をする中で辛いことの一つとして「日曜日」を挙げる。

「ただ部屋の中に閉じこもって、何もすることがない日」「本当に辛いの」と。

しかしオバフェミは、私がここまで何度も書いているように、生前は長く闘病していた。

重い病気と闘う中では、苦しみに耐える以外のことは何もできない時間も長かったはずだ。

1番が去っていったあと、その背中を指差して笑うオバフェミはきっと「何もすることがないなんて、俺が病気だったときと同じじゃないか」「1日だけ、しかもそこに身体の苦痛はないんだから、楽勝じゃないか」「身体が楽に動くのに、何もすることがないだけで辛いなんて」といったことを思ったのではないか。

(これはオバフェミの感情を推測したもので、「身体が健康で何もすることがない」「身体が不健康で何もできない」のどちらがより辛いかを主張するものではない。人それぞれだし多分どっちも辛い)

新しい月曜日・モップ(日替わり)

土曜日に2番がセンターを去ったあと、月曜日からオバフェミはアシスタントとして仕事を始める。

このシーンでのオバフェミの動きは日替わり要素がある。

主に

  • 靴箱を運びながら吹く口笛(3番に口笛で返事をしているが、その答え方など)
  • 通りかかるギター奏者に対する絡み(ギターに関してだったりそうでなかったり)
  • モップの掛け方(変な効果音をつけたり、モップに振り回されたり)
  • 4番とのやりとり(セリフはほぼ同じだが、言い方や「違うよ」に対してのリアクションなど)

あたりが大きな要素かな…

7月26日マチネの「足が臭いとか?」の直後にいきなり4番がビンタしたのはびっくりした!

↑前々日7/24に放送されたドラマ「転職の魔王様」第2話に味方さんがゲスト出演していて、ドラマ内で思いっきりビンタされていたのでそれを擦ってきたんだと思う。まさか擦られると思わなかったので笑った。

ビンタされたあと「ちがーうよ?」と言われたオバフェミは「痛ーいよ♪」と答えていた。いきなりビンタされたのに優しいな…オバフェミくん…

 

オバフェミはガイド見習いになったことで、身体に苦しみのない自由を味わいながら「たったひとつの思い出を探す」という「問題」と時間をかけて向き合うことができる。

そもそも「ガイド」という仕事は彼のような3日間では選べない人たちが、人を助けながら時間をかけて自分の思い出を探すためにあるのだろう。

この「センター」が一体どんな存在が、どのような目的で運営しているものなのか、そしてセンターを通り過ぎていった人たちが本当はどんな状態で、どこにいるのか…

はっきりと描かれていないことだらけだけれど、そういった「問題」を楽しむことがこの作品の楽しみ方なのだろうと思う。(このブログもそんな「問題の楽しみ方」の解答例だ)

 

センターはいつも秋で、満月で、晴れていて…星々は現実とは位置がズレている。

センターを訪れた死者たちは「星」そして「塵」に喩えられる。

「空/山」の中で、死者たちは自らが決めた「かけがえのない思い出」によって、現実とは少しズレた「居場所」を見つける。

彼らが秋の後に迎える冬はどんなものになるのだろうか。

選んだ思い出が、それぞれの冬の暖かさを決めるのだろう。

*1:https://www.nairaland.com/1506134/lists-yoruba-names-english-meaningより

*2:「犯人」はキャスト表にも書かれていることなのでネタバレではありません

*3:2017年〜22年の間に5回