推しが可愛い日常

推し(味方良介さん)が可愛い話をします

推しのおでこが広い話。

推しはおでこがちょっと…いや結構広めだ。

別にだんだん広がってるとかいう訳ではなく、元からずっと広いのだ。

 

しかもその広いおでこの真ん中から少し外れたところに、小さな凹みがある。

おそらく傷跡のようなその凹みは一体いつ頃できたものなのかわからないが、本人は特に隠している様子もない。

(まあ、画質が良い写真でもよく見なければわからない程度の凹みなのだけれど)

 

推しはおでこをよく出している。

広いおでこを出して、くしゃっとした子供みたいな笑顔で写真に写っている。

 

 

私はおでこの広い人が好きなのかどうか、自分でもよくわからない。

何故はっきり言えないかというと、私自身もおでこが広いのである。

生まれつき物凄くおでこが広い。出したら落ち武者みたいになる。

昔付き合っていた男性におでこを見せたら爆笑されたのはトラウマだ。

 

かといって、完全に隠すように前髪を作ったらそれはそれで何かおかしい。

おでこが広すぎると、出しても隠してもおかしくなる。

もはや前髪の正解がわからない。考えたくない。

 

 

それから私は脛に古傷がある。

なんの比喩でもない。数年前に階段で転んだのである。

脛は派手に大きな痣ができ、腫れて、凹んだ。

医者によるとこの凹みは骨膜がえぐれているせいで、凹みを治すには手術をするしかない。

しかし、凹んでいて困るようなことがないのであれば治す必要もないのだという。

そう言われた時は心も凹んだが、私はモデルでもなければ芸能人でもない。

どうしても手術をする必要がある人間ではないのだ。

元からとりたてて綺麗な脚でもなかった。

 

それでも、凹んだ脚を出すことはためらわれるようになった。

別に元から好んで脚を出すようなタイプでもなかったが、なんとなく凹んだ脛のことは意識してしまう。

幸いタイツを履けば気にならない程度の凹みなのでスカートが履けない訳ではないけれど、生足で脛が大きく出るような丈は難しい。まあ年齢的にも難しいんだけど。

 

 

コンプレックスというのは本人が気にするからコンプレックスなのであって、気にしなければどうということはないのは当然のことだ。

それでも、やっぱり自分が気にしてしまうものと似たところを晒け出してニカッと笑うひとを見ると、少し胸がざわっとして羨ましくなる。

そして同時にスッと胸が空くような、荷が降りるような、そんな気持ちにもなるのである。

 

気にするなと言われて気にならなくなれば簡単だけど、なかなかそうはいかないのがコンプレックスというものだろう。

この気持ちにまだ上手く名前はつけられないが、私はやっぱり推しのおでこが好きなんだと思う。

 

 

ameblo.jp

いいおでこ、いい笑顔。