推しが可愛い日常

推し(味方良介さん)が可愛い話をします

LOL!の感想の話。

以下、舞台「LADY OUT LAW!」に対するネガティブな感想があります。

(主に演出と脚本に対して)

自分の気持ちの整理のために書くので、良い思い出だけ持っていたい方は読まないようにお気をつけて…

 

結論としては、私にとって全然好みではない舞台でした。

演出、脚本共にうーん…と思う点が多く、挙げていくときりがないくらいなのですが…

 

演出としては説明的な映像(しかもダサい)に頼りすぎている面が大きく、しかもスクリーンが円形劇場なのに三面しかない(後方を向いている席は特にスクリーンが目に入りにくい)のは単純に問題でした。

 

さらに客席がほぼフラットで座高が高い男性客も多い状況にも関わらず、倒れたり地面に座りこむような場面が多い。

これは後方席ではストレスだろうなと思いました。

(幸いなことに私は最速キャスト先行で全てのチケットを揃えたら全て1列〜3列までの席で、しかも自分より前方席がほぼ全ての回で空席という状況でした。運が良かった)

 

キャスト関係の内輪ネタが多いのはもはやいつものことですが、複数の客層が入り乱れる現場での内輪ネタは当然「誰かを立てれば誰かか立たず」状態になって毎回荒れますね。(懲りないなぁ)

 

演出に関しては「もう円形とか変わった会場でやらずに普通の劇場だけ選んでくれ」「内輪ネタに頼るなら欲張って色んな客層集めようとするのやめてくれ」としか言えないのですが、脚本については色々と…残念としか…

 

まず問題のショートコントシーン。

ショートコント全体が後の場面や全体の物語自体を表すような伏線になっている…という構造なのですが、コント自体の出来が…あまり面白くない…

そして客席の反応があまりにも…だったとしてもコント自体が伏線になっているため中身を変えることができない。

その伏線自体もしょうもないというか、「あーそう、あれがここに繋がるのね、で?」という感じで…がっかり伏線…

 

そして何よりショートコントのオチがアレなことで、この物語全体としてのオチも「風呂敷広げて重要な伏線は回収できずチャンチャン」であることを白状してしまっているんですよね…

悲しみを通り越して「この段階で開き直るなよ!!」という怒りが湧いてきます。頑張ってつまらないのは仕方ないけど!話の中で開き直るなよ!!

 

まあ上記の通り、コントと同じく物語のオチも回収できてない部分が多くて多分私が気付いてないけど回収できてない部分もいっぱいありそうなんですが…

私が一番気になるのは「ユーリ兄さんはどうやって大司教の中に入ったのか」ですね。何一つ説明なかったよね!?「無敵超人」みたいな無理のある説明すらない!なんやねん!!!

 

ユーリ兄さんといえば過去の様子と現在の様子に共通点がなさすぎて同一人物と感じにくいのも気になりました。脚本的にも演出的にも…

一人称すら統一してない…なぜ過去は「俺」で現在は「僕」なのか?別の役者が演じるんだからそこはせめて統一しとこうよ…!?

同様にユーリとサンの似てるポイントも感じにくい…何かわかりやすいポイントを作っておけばいいのに…!

 

全体的に「よくあるシーン」の組み合わせであることはわかるし、そのこと自体を否定はしたくないんですけど、その組み合わせ方もピンとこないというか…

繋ぎ方や、そのシーンに至るまでの積み上げが足りてない感じがどうにも。

「みんなこういうの知ってるでしょ?言いたいことわかるでしょ?」的な甘えを感じてしまう…

私はヘソが曲がっているので「いやわかるけど、だからどうした!?」と言いたくなります。

 

SF的な設定の雑さもやっぱり気になります。

「パーツを入れ替えたら直る」っていうけど、そのパーツどっから手に入れてんの!?とか。

その状況下で、全国民の生活と娯楽と機械化のコスト全部賄えるほど臓器価格って高騰する!?とか。

だってスラムがいっぱいあって、子供を騙せば臓器が得られて、自然臓器より安価な上にある程度安定した人工臓器があって、そんな状況で臓器価格ってそんな上がります!?

自然の臓器なんて絶対品質的に安定してないし、いくら健康な臓器でも本当に自分に適合するかわかんないし、それならある程度安定した人工臓器を入れ替えながら品質の向上にお金かけた方がよくないですか!?

 

そもそも、制御装置による洗脳に対する恐怖はまだ理解できても、機械化そのものに対する嫌悪感がよくわからないんですよね…

演出的にも脚本的にも、機械化に対する嫌悪感の理由があんまり表現できてない。演出的に言えばもっと生理的嫌悪が湧くようなデザインだったら違ったかもしれないけど。

「誰かに精神を制御されること」と「身体が機械になること」の恐怖は別物のはずなのに、そこがごっちゃになってる感じが単純に不快だなと思います。

 

現代において、既に内臓や身体が機械化というか、人工のものになっている人は多くいます。

自分の体に人工の内臓が入っている人と一緒にこの作品を観たいと思うか?というとノーだな、と。

嫌悪の理由が説明されていたらまだわかりますが、嫌悪感の理由がきちんと説明されてないのが…

私が一番この作品で納得できなかったのはここですね。

 

 

あんまり愚痴ばっかり言っててもしょうがないので、良かった点も。

 

推しについてはもう、あの優しい声と話し方がヤバイ。洗脳力が強い。

優しく話せば話すほど、良い人らしく振る舞えば振る舞うほど、なぜか逆に恐怖を感じます。

裏は無いのです。裏があるんじゃないかと感じて怖いのではなく…裏がないからこそ怖い…

こんなこと言ったら失礼ですが、天性の教祖体質なんじゃないかと思います。

この恐ろしさを…常識が歪むほどの優しさを…何かもっと活かすような役が観たい…

 

そして敦貴くん。ヤバイ。別の方向で完全にヤバイ。主に日替わりがヤバイ。

今回のLOL!でMVPを選べと言われたら私は間違いなく敦貴くんを選びます。

前説で敦貴くんが出るようになったのは途中からだったようですが、大正解だと思います。

なんというか、不快にならない愛されるバカ(アホ)として、天然でぶっちぎってるんですよね。

推しが毎回ズッコケて笑いすぎて泣きそうになりながら「オレこいつと半年一緒にいるけどどんどんバカになってる」「みんなお前のこと大好きになったよ!!」って言うのがもう、わかりみしかない。

 

前説は毎回本当に面白かったです。

「今日は予定を変更して前説2時間やります!」とか言い出した時はマジでそうしてくれ!!と強く思いました。

正直、敦貴くんの観察だけで2時間全然持つよ。

 

 

今回の観劇は改めて「私は観劇に何を求めているのか」を考えるきっかけになりました。

帰りの新幹線で猛烈に「詩情が足りない!!」という気持ちになり、iPhoneに入ってる好きな楽曲を次々と聴きまくりながら帰りました。

「詩情」というのは表面的にポエミーな言葉が並んでいるとかそういうことではないのです。

今っぽく言えば「エモ」が足りない。「エモみ」が不足している。

表面的な「それっぽい」の並びじゃなくて、魂を揺さぶるような物語が欲しい。

 

直接的に全然関係はないのですが、今日読んで心を打たれたブログがあるので紹介します。

yuki-kuriyama.hatenablog.com

 

タイトルなんか語調としてはLOL!の主人公の言葉に近いのに、私にとって圧倒的に胸を打つのはこちらで、これが借り物で綴った言葉と心から出た言葉の違いなんじゃないかと私は思ってしまうのです。

 

 

この物語の作者には、どこかで見た借り物の言葉やシーンの並び替えではなく、自分の言葉で物語を綴って欲しかった。

全ては私の主観であって、作者にとっての真実は違うのかもしれないけど、私の感想はこうでした。

違う感想を持った人にはその感想を大事にして欲しいと思います。

きっと私にはうまく受け取れない作品だったので、切り替えて次を楽しみに生きます。

(ところで次は…次は来年2月でいいんでしょうか…!?)