推しが可愛い日常

推し(味方良介さん)が可愛い話をします

推しのことを世界で一番美しいと思う話。

私は推しのことを世界で一番美しいと思っている。

 

それはもちろん見た目、外見も美しいと思っているのだが、見た目だけではない。

何気ない仕草、動きの美しさも素晴らしい。凛として高く響く声は何より美しい。

そしてそれ以外に感じるのが、言葉の美しさだ。

 

推しの扱う言葉から途方もない美しさを感じられる時がある。

先日のブログでも大変美しい言葉が並んでいる下りがあった。

 

ameblo.jp

 

悩みはまだまだ尽きないけど、明日が大きな勝負。
 
"伝える"ことを強く思い続けます。
 
人が好き、舞台が好き、そして"今"が一番好き…他にも多々好きなことがあるけど、好きでいられることを当たり前と思わず…それでもずっと好きでいられることを信じて、祈って沢山のことと向き合います。
 
エゴでもなく驕りでもなく"味方良介"が信じる未来へ。

 

まっすぐに輝く美しい言葉の数々が並ぶ文章の眩しさに思わず目を細めてしまう。

表現をする者として「"伝える"ことを強く思い続ける」という決意がまず美しい。

「人が好き、舞台が好き」ときて「そして"今"が一番好き」と持ってくる感性。

「好きでいられることを当たり前と思わず」の謙虚さ、その裏に垣間見える人生経験。

「それでもずっと好きでいられることを信じて、祈って」と言える前向きでひたむきな姿勢。

そして

「エゴでも驕りでもなく"味方良介"が信じる未来へ」

この一行が全てを集約する強さを放って、まばゆい光と美しさを揺るぎないものにする。

 

この文章を読んで、私の頭には大きな城のバルコニーから凛とした姿勢で民衆へ向かい演説をする名君の姿が浮かんでいた。

恵まれた高貴な立場にありながらそれを自覚し、優しい慈愛の心と誠実さを持って多くの人々へ向けて語りかけることができる正しい君主の姿。

この美しさは万人に伝わるものではないのかも知れないが、私の中ではこの美しい光景が鮮やかに浮かんでいる。

 

人間の内面なんて本当のところはわかりはしない。

自分の内面ですらよくわからないのに他人の内面がわかると思う方がおかしい。

それでも、推しを見ていると「内面から滲み出る美しさとはこういうことなんじゃないか」と思ったりする。

 

推しは「今」が好きだと言う。そしていつも推しは自分の「今」に誠実だと私は思う。

だからこそ私は、推しの「今」の言葉が本当であることを信じられるのだと思う。

当然「今」は変化していく。次の瞬間、さっきの「今」は「今」ではない。

「今」に誠実であればあるほど、過去と矛盾が生じることだってあるだろう。

それでも推しは推しの「今」に対して、その時々での彼なりに誠実であろうとすることを私は信じていられる。

その誠実さは「今」に合わせてきっと少しずつ変化しながらも連綿と続いていくのだろう、と思える。

 

推しは毎日「おはよう」をツイートしている。

最近は稽古が忙しい様子で「おはよう」は徐々に時間がずれ、すっかり日の暮れた夜に「おはよう」が呟かれている。

 

 

「おはよう」の時間が遅くなっていることに対して推しは謝るが、頑なに「おはよう」と言うことをやめない。

 

 

 

別に誰が強制したわけでも無いのだろうし、「おはよう」ではなく「お疲れ様」でも「こんばんは」でも何でも良いはずだ。

それでも推しは「おはよう」にこだわっている。

 

以前に推しは同級生で親友の木戸邑弥くんとの会話中にこんなことを言った。

 

 

「おはよう」が14時ごろにずれ込んでしまった時の開き直りである。

こんなことを言っておきながら「おはよう」が20時ごろになると自分があまりにズレていることを謝ってくれる。

 

世間の時間と自分の時間がズレていることを自覚していても、自分の時間を曲げず「おはよう」を言い続けてくれる。

 

 

今日は21時半。

世間と自分とのズレの中で、それが受け入れられようが受け入れられまいが構わず自分を貫く。

まあ、本人にとってそれほど深いこだわりでもないのかも知れないし、なんとなくこれまでと揃えたいだけなのかも知れないけど。

 

きっとこれから変わっても変わらなくても、彼は彼にとっての「今」に誠実なんだろうと思う。

多分、世間の中心は決して推しではないのだろうけれど、それでも「世界の中心は君だ」と言いたい。

世界で一番美しい"味方良介"の未来をただ信じている。